しあわせの意味

  • 2020.05.17 Sunday
  • 10:44

 

このブログの説明文にも書いてある、「しあわせ」の意味について。

 

「幸せ」って、よく考えると、とても難しいものです。

 

なんとなく、みんな「幸せになりたい」と思っているようですが、それはどういうことなのか?

 

人よりお金があること、人よりイケメンとつきあうこと、人に自慢できる何かを所有することなのか?

 

名声を得ること、社会的に高い地位を得ることなのか?

 

自分の自己愛を満たしてくれる人と結婚することなのか?

 

自己啓発的なものが言うように、「なりたい自分になる」というものなのか?

 

「幸せになりたい」と妄想的に思っていると、自分にとって「良くない」ことが起こると、それを排除しようとか無くそうとがんばるケースがよくあります。

 

そうして、どんどん迷宮入りするか、家族の他の人たちが不健康になっていくというケースもよくあります。

 

「幸せ」の語源は、ラテン語でホロス(holos)です。

 

全体性という意味です。

 

全体性とは、男と女、陰と陽など、月と太陽など、相反するものが統合されていくということです。

 

また、「幸せ」は、「仕合わせ」とも書きます。

 

「仕事をする私」と、「仕事をするあなた」が合わさる。

 

ここに、仏教でいうところの縁起が生じるわけです。

 

「仕事をする私」とは、簡単にいうと「個として生業う」という意味でもあります。

 

そういう人たちが出会うことで、「幸せ」、つまり、天と地へとつながる経路が結ばれるわけです。

 

ここまでいくと、禅とかそういった境地の話になりますね。

 

量子力学的な話ともいえます(量子力学について誤解されている方も多くいますが)。

 

「幸せ」という感じが、縦線二本で、上と下とが同じ「土」で構成されているのは、何とも興味深いように思います。

 

特に、女性が「個として生業う」ためのプロセスは、ギリシャ神話などでは昔から複数あるものです。

 

ユング心理学では、『薔薇園』などにもこの錬金術の話が描かれています。

 

たいてい、女性は危機に瀕して、そこからひとりでひとつずつ地道に取り組んでいくのです(もちろん、いろいろな助けもあります。そして、女性は自分の意志によって失敗もするのです)。全部自分でやるのです。

 

昔から語り継がれ描かれてきている「結合ー死ー再生」のプロセスは、いばらの道です。

 

でも、どうも、この欲求のようなものを奥底に秘めている人が多くて、特に近年は、このプロセスを始めている(始めざるを得なかった)人たちも多くいます。

 

時代のせいなのでしょうか。なぜなのかはよくわかりませんが、傾向としてあるようです。何がいばらなのかというと、ひとつには「現実」に直面することがいばらなのです。

 

要するに、自分が傷つかないですむ「妄想」の中に生きていて、この妄想を維持するために防衛としてあれやこれやをやるわけで、そういう場合に、自分の「現実」をみることはきついのです。

 

精神分析の言葉でいうと、自己愛構造体をつくって防衛したり、巻き込み型で他者を暗黙のうちに使ったりという強迫的・パーソナリティ障害的な関係をつくってしまうのです。

 

こうしたことは、誰が悪いというわけでもなくて、運がいいとか悪いとかでもなくて、どうも、人間とはそういう生きものなのではないか、つまり、「最終的には全体性を欲するがゆえに自分で選んでいるのではないか」という気すらしてきます。

 

いばらの道ではあるけれども、苦が快となっていく、そして、他者との関係もしっかりと結ばれていく、確実な手ごたえのある、これまでに経験したことのない世界が開かれていく、生きていてよかったと思える、楽しい道でもあることを付け加えておきたいと思います。

 

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