離婚と死別について――佐々木正美『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』より抜粋

  • 2020.07.31 Friday
  • 11:03

 

離婚をして子育てをしているような場合には、自分の人生の失敗に子どもを巻き込んで悪いことをしてしまったと、こころのどこかで負い目を感じているお父さんやお母さんもなかにはいると思います。

 

子どものためにと離婚を我慢することは、親も子どもも負担になります。

 

よい人間関係というのは、「必ず相手に与えられ、かつ与えられているものがあり、双方で等しい価値を実感し合っている関係だ」というものです。この言葉は夫と妻の間にもいえることで、こうした関係が成立しないのなら、残念ですが別れて暮らした方が子どもにとって幸せな場合が多いでしょう。

 

離婚というのは罪を犯したわけではなく、人生においてひとつの挫折をしただけのこと。しかも、離婚はその人自身がよりよい人生を歩むために真剣に悩み、最終的に下した決断です。しばらくの間はこころが苦しかったり、落ち込んだりすることがあったとしても、子どもに対して負い目を感じる必要はありません。

 

むしろ、これからの人生を前向きに捉え、子どもといっしょに楽しく生きていく努力をしてほしいと思います。

 

死別してひとりで子どもを育てている場合も同様です。これからの人生を子どものためにも力強く生きていってほしいと願います。

 

子どもは親や周囲のおとなたちの生きる姿から生きる術を学び、生きる力を身につけていくからです。

 

その観点から、いま私が危惧しているのは、ひとりか、あるいは両親がそろって子育てしているかということより、親自身の生き方が孤立していて、生きることに下手になっている点です。

 

佐々木正美『ひとり親でも子どもは健全に育ちます』より

 

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夫婦関係は投影関係でもあるので、離婚の場合、自分はこの関係を「やりきった」という離婚は、お互いにとってよい結果を出していくように思います。

 

ひとことに離婚といっても、場合によっては法的手続きが完了するまでに数年かかることもありますし、心的離婚が完了するまでにはもっとかかることもありますので、適切なサポートを得ながら、自分自身でそれを「決断した」という心の状態になられることが、大切に思います。

 

死別の場合、適切なサポートを得ながら、また、家族間で、喪失の痛みを丁寧に分かち合うことが、とても大切に思います。

 

佐々木正美(児童精神科医)の子育てへのまなざし

  • 2020.07.30 Thursday
  • 13:45

 

佐々木正美さんにやっと出会えた。

 

すでに他界されており、本を通して出会った。

 

「愛着」は、私の相談室でもとても大事にしているが、「愛着」についてここまでまっすぐ書いてくれていた精神科医に初めて出会った。

 

読んでいたら、佐々木先生に共感してもらえた気がして泣いてしまった。

 

なぜなら、子育てをしている中で、私の子どもとのやりとりにあまりにも手間ひまかけているからなのか、子どもが小さかった頃には「放っておいたらいい」とか「反応しなければいい」と言われることがよくあったからだ。

 

そのように言われる方には、共通点があって、子どもが3人以上いて、看護師や先生などで働いておられた方々だった。まぁ、これ以外にも、よく言われたが。

 

しかし、佐々木先生は、私が信念をもってきたことを下支えしてくださるようなエビデンスであったりお考えであったりを、本の中で何度も何度も書かれていて、心の底から嬉しかった。

 

「過保護に育てれば自立する」

 

という、一見、現代の子育て論とは相対立するようなお考えを佐々木先生はもたれているが、これは心理学者・河合隼雄も同じことを述べていて、私もその通りだと思っている。ちなみに、野口整体の子育ても、基本的にこれに沿うものだと思っている(いまや、そういう考えで野口整体をやっているのは少数かもしれないが)。

 

しかし、「過保護」と「過干渉」との違いであったり、佐々木先生や河合先生のおっしゃる「過保護」は、厳密には「愛着」のことであるのには注意が必要だ。

 

現代では、「愛着」が希薄な親子関係が多いのである。

 

にもかかわらず、先回りして心配したり、何でも与えたりすることで、子どもとの関係を維持しているケースが多いのである。

 

例えば、子どもが「ゲームがほしい」と言ったとしよう。

 

たいていの親は、「ゲーム依存になるのでは」などと心配する。

 

しかし、「愛着」関係がしっかりと築かれているならば、そうはならないのである。

 

ゲームなどのモノで自己愛を満たす必要がないから、子どもは単純に、楽しむだけなのである。

 

親子に「愛着」がないほど、子どもがほしいというゲーム機を買うことはない。ここでも子どもの心は、親にキャッチしてもらうこともなく、ますます難しいことになってしまう場合がある。

 

こんなことを書くと、親を責めていると思われる方もいるかもしれない。

 

そうではなくて、「愛着」を育むことはとても簡単なことであって、まずはこれさえあれば子どもは大丈夫だと言いたいのだ。

 

けれども、現代社会では、「愛着」よりも、+アルファの何か(例えば、子育てイベントなど)をやることに親たちは試行錯誤している。

 

「愛着」は、やりとりの積み重ね。

 

ほんとうに、まずはこれが大事。

 

そして、敗戦後、親子の愛着よりも物質的豊かさの中で育てられた子どもたちが、いま大人になってどんな社会問題が起こっているのか。DVやストーカーやハラスメントと関係するのか。

 

そういう、巨視的な視点から、私は子育てを考えている。

 

三つ子の魂百まで。

 

これは、第二派フェミニズムが批判してきたように、女性を子育てに縛り付けるものではないのだ。

 

この点については、話が入り組んでいるのでまた書きます。